バリトン・ウクレリアンの乗り専・弾き専・遊撃ライフ

車輪モノと弦モノが大好きなバリトン・ウクレリアンが、フラフラ(遊撃)しているブログですよ

メツブシ360 いやミツビシです

私が物心ついた3歳頃、私の家に車がありました。
 
世の中は東京オリンピックも終わり、高度成長にまっ只中でモータリゼーションなんて言ってた頃だと思います。
 
ただ、私の住んでいるところ、は東北の裏日本の田舎。
私の家の周りでは、まだ車を所有している家庭は、そんなにありませんでした。
 
私の親父は、地元の方言で言うところの「アガスケ(目立ちたがり、ナマイキ、えぇかっこしぃ、とかその地域によっていろんな意味あり)」だったようです。
まだ牛とかで、田んぼを耕していた時も、いち早く耕運機を購入したようだし、村の中で率先してギターなんか弾いていたようです。
私が楽器(ウクレレ)を弾くようになったのは48歳からですからね。
血は引いているんでしょうか?
 
親父は今で言うところの「絶対音感」に近いものを持っていました。
一度楽曲を聴くと、ギターで弾いてしまうんです。
私にはそんな音感は無いので、家にギターは有りましたが全く弾けませんでした。
だってチューニングしていると、今の音が高いのか低いのか判らなくなってきて、「だめだ、こりゃ~(ドリフの長さん)」と楽器は早々に諦めました。
 
時が経って、今やチューナーが千円ちょっとで購入できるようになったのも、楽器をもう一度始めたきっかけでしょうかね。
デジタル機器の進歩は、安価に音程の「見える化」をしていただき、私みたいなものでも楽器を楽しむことが出来ています(感謝、感謝
 
 
 
さてさて、だいぶ話が反れました。
 
家に三菱360バンがありました。 
イメージ 1
 
小さい頃の私は、この車が大好きでした。
今でも、あの空冷2stのやかましい音が聞こえて来そうです。
 
ある時、確か後ろのタイヤがパンクして、何日か不動になっていました。
私の姉が「もう動かないんだったら、私の机を入れて(車に)私の部屋にする」みたいなことを親父に言いました。
私は「入るの?」みたいに思っていましたが、親父は苦笑いでした、確か。
 
イメージ 2
 
この車で家族で蔵王に行った時、途中でブレーキが戻らなくなって走れなくなり、パニック(?)になったそうです。
私は覚えていないし、どうやって回避したのかは不明です。
 
親父は「あだな(あんなの)混合油で走ってたんだじぇ~」って言ってました。
ガソリンスタンドで「混合25:1満タン!」なんて言ってたんでしょうね(笑
それとも、もしかしたらオイルポンプが壊れてたのかな? 
 
 
当時世の中が急拡大している中、この三菱360では農家として役不足になり、本格的なトラックの必要性を親父が感じたのだと思います。
三菱360バンとの別れはやって来ました。
今思っても、子ども心に家族の一員だった360との別れは、淋しかったです。
 
 
大人の農家の目で見れば、家族の一員みたいに面倒をみて育ててきた牛を、食肉のため出荷しなければならない辛さ、しかし家族が生きていかなければならない葛藤。
今にしてみれば、親父の葛藤も何となく判ります。
 
子どもながら、360の車内にリンゴを捧げたり、甘納豆を供えなりしました。
親からは叱られましたが、ばぁちゃんだけは私の淋しい気持ちを汲んでくれました。
 
今では何十台のバイクともサヨナラを繰り返していますが、この360との別れが最も淋しかったような気がします。
気がしますなので、根拠なし!
 
  
この幼児体験により、私の体内にメツブシ・ウィルスが・・(笑