冬はねぇ~、雪ネタしか無くってね、備忘録でオートバイやチャリの事を書いている訳ですね。
チャリネタが続いて「連作障害」が起きそうなのですね。
「箸休めに」以下、どうでしょう(^^;
「ウィリー走行」って知ってますか?
「ウィリー走行」って言うのはですね、英語では「Wheelie」で日本語では「一輪走行?」かな。
要は、前輪を地上から離して後輪だけで走行することでしょうか。
「ピン!」っとバイクが「竿立ち」になるので、元気の良い青少年のチ〇ポを「ウィリーしてる」って、言ってた漫画ありましたよ。
確か、80年代初期の少年チャンピオンで「僕はウィリー」ってのがありましたよ(笑
(各自、検索してね、たぶん出てくるよ。
逆に前輪は地面に接地させたまま、後輪を浮かすのを「ジャック ナイフ」とか「モノ ホィーリング」なんていう呼び名がありました。
私の昔の写真を漁っていると・・
アハハ、昔はこんなことをやっていたんですね (^^:
農耕用トラクターで「ウィリー走行」ですよ(笑)、1980年代前半頃かな。
当時のオートバイ雑誌は、
「オートバイ」
「モーターサイクリスト」
「ヤングマシン」
「モトライダー」
「Mr.バイク」
くらいしか無くてね。
確か名前が「月刊 ウィリー」でした。
創刊号で「ウィリーの写真を募集」ってのがありましてね、私は応募しましたのよ。
撮影は会社の同僚に頼みまして、「お礼」はタバコ「キャメル」2箱だったかな~。
写真のトラクターは「サトウの白いトラクター」でして、私が小5の時に親父が購入したヤツ。
小5から、春の田起こし(田んぼを耕すヤツ)は私の仕事でした(今なら問題かな?、笑
私は高1の16歳の時に「原付免許」と「小型特殊」免許を取得しました。
当時は「3無い運動」とかがあって、高校生に免許を取らせなかったのね。
でも「小型特殊」免許があれば、堂々とトラクターで「公道」を走って田んぼまで行ける訳ですよ。
私は小5から田んぼで「マシン」を操っていました(笑)
イニシャルDの拓海君も中学生で豆腐配達していたどね。
高3の夏に「3者面談」がありまして「担任・私・親父」で今後の進路について語り合う訳です。
先生「まさか、免許なんか取ってないべ?」
私「ウッ!(金さんの井筒屋 ^^;、シラを切るべきか、開き直るか・・)ウ~ン・・」
隣に親父がいるのでどうしようか迷った挙句、、
私「免許持ってます、家の田んぼの仕事さんなねがら(しなければならない(must)から)」
先生「う~ん・・困ったな・・」
親父「ハァ~?(自分の家の仕事手伝うのに、何言ってんだ?アホらしぃ!(たぶん)」
当時は、免許を取得しただけで「停学」になった人もいたと記憶しているんだけどね。
先生「事故とか無いように、気を付けて乗れよ」、、でした。
もし、ここで説教が始まっていたら、親父が黙っていなかったと思いますけどね(笑
この「サトウの白いトラクター」ですけどね。
この写真の1年後くらいに「ミッション破損」で、トラクターを買い替えているんですよ。。
これは、たぶん私の「ウィリー走行」がミッションに負担を掛けたんではないかと・・
今にして思えば、こんな「アホな走行は止めましょう」ですのよ (^^;
(長くなっちゃってゴメン、読んでくれた皆さま、👍