お盆が終わっちゃいましたね~
東北は大雨続きでね~、今日は地震もあったし。
コロナ第7波も猛威を振るっているしでね。
それでも地球は回っている、もうすぐ秋の気配ですよ。
7月下旬の殺人的な日差しを感じられませんもん(明日エライ暑かったりして、^^;
スミマセン、ちょいと長くなります、お付き合いいただける方は宜しくお願い致します。
さてさて、先日の事。
ワゴンRちゃんにスポチャリのTRCちゃんを積んで、尾花沢市の道の駅までワープしてから、ちょいポタを開始。
当初、最上町に向かう予定だったんだけど、気分が北に向いたので金山町を目指します。
今回の行程図 ↑ 。
まずはA地点の尾花沢市の道の駅「ねまる」に到着。
ここから出発して、最上町までのルートを考えながら走行していると、、、
いきなりB地点で「プシュッ~」ですって。
早い話「パンク」ですよ。。まだ4kmも走っていないのに・・(泣、T_T;
何か鋭利な異物が刺さったみたいです。
パッチを貼ってパンク修理するのもいいんだけど、先日のトラブルからの教訓で積載装備していた、予備チューブに入れ替えることにしますよ。
予備チューブへの入れ替えでパンクは解決したんだけど、最上町に行くのを止めます(気まぐれで
更にR13を北上しまして、ここC地点から金山町を見渡します。
建設中の東北中央道が目に入りますが、数年後に先の主寝坂トンネル(自動車専用道路の方)に連結します。
明治11年に(1878) 7月、英国の作家イザベラ・バード女史が金山を訪れ、そのときの紀行文「日本奥地紀行」 に、『ロマンチックな雰囲気の場所である』 と印象を述べているんですね。
イザベラさんが見た風景は何処だったのかな~?
私は勝手にここからの風景だったのかな、といつも思っているんだけど、
明治時代にここの道は無かったんじゃないかな?(^^;
金山町内を過ぎて、更に北上してD地点にて。
ここもR13なんだけど、その西側には自動車道がありましてね、
平成初頭までは交通頻繁地域道路だった(と思う)が、今や限界集落に近いのではないかないかと。。
ここから一般国道(自動車道じゃない方ね)の主寝坂トンネルを目指します。
「主寝坂」と言うのは言い伝えがあってその昔、追手に追われてお姫様と家来がここの峠で一晩を過ごしてた時、姫と家来が結ばれてしまって「主と寝る」で「主寝坂峠」になったと聞いたことがあります。
そして一晩明けて自分の行いのを悔いた家来は自害したという、やるせない話が残っています。
今の時代なら「SDGs」で、誰も取り残さない社会を目指すんですけどね・・
E地点の主寝坂トンネルに到着。
右横に見えるのが旧道らしいです。
トンネルの中はこんな感じ。
「主寝坂隧道」昭和34年3月竣工、と刻まれてます。
ここから数キロ行けば秋田県との県境なんだけど、今日はここまでにします。
オートバイならチョット無理してでも進むんだけど、チャリはそういう訳には行かないんですよ。
所詮1馬力にも満たない人力車ですからね。
まぁ20・30歳代だったら、きっと先に行っていると思うけどね(^^;
その先は何度もオートバイや車で来ているんでね、来た道をピストンで引き返します。
前回も来たF地点・昭和のドライブイン「猿羽根山ドライブイン」で遅い昼食。
頼んだのは「牛丼」。
ドライブインなので、いわゆる「業務用」が出てくるのは承知の上。
「峠の茶屋」が「ドライブ・イン」になって、今や何処にでも「コンビニ」があるからね~
ほれ、昭和のドライブイン・食堂メニューですよ、(値段は令和ですよ、^^;
腹を満たして更に南下すると、「田んぼアート」の看板が・・G地点です。
見る時期が遅すぎたようですね、、来年は旬を見に来るからね。
ハイ、A地点の道の駅に戻って来ました。
走行距離82km、5時間(トラブル・昼食・休憩込み)、獲得標高700m、最高気温37℃(サイコン記録値)です。
今回は、23Cから25CにサイズアップしたTCRちゃんが「パンク」でショックでした。
まぁ、ロード用の「ウスウス・気持ちイイ」タイヤなので、致し方ないかと・・
(ロードバイク・ファンの皆様、減らず口でスミマセン)。
てぇ~ことで後日ですけど、28Cの耐パンク強化のタイヤを入れてみますよ。
地元のお店には耐パンク強化タイヤがこれしか無くてですね、色合いが合わないんですけどムリクリ装着です。
サクッとタイヤとチューブを交換。
う~ん ↓ 、青系のTCRちゃんに赤タイヤはマジで「ヘン」ですよ。。
チャリ屋を数件回ったけど、リアル店舗から買えるタイヤは、このタイヤしか無かったのよ。
まぁ、まずは「28C」と「耐パンク」タイヤを味わってから、次の一手を考えますよ(^^;
28Cの乗り味がどうなのか、楽しみですよ。
最後までお付き合い頂いた皆さま、ありがとうございます。